見返りを求める人生
最近見ているドラマは「フリーター、家を買う」です。
有川浩さんが原作の小説をかいています。
二宮和也さん演じる主人公は、企業に就職してすぐにやめてしまいます。アルバイトで生活していましたが、同居している父親に日々ののしられていました。
そんなある日、母親が突如うつ病になってしまいます。
母親を大切にする中で、家族の在り方が変わってくる、という物語です。
第6話で心に刺さった言葉があったので紹介します。
父がある女性に話すシーン。
息子は俺の存在を全面否定している。
父親とは認めていない。
原因は分かってる。
俺があいつのことを否定ばかりして、認めてやらないからだ。
本当は、あいつのことをもっと尊重してやるべきだったことは分かってるんだ、なかなかそれができない。
家族の前では、なかなか素直になれない父親。
自分のことを僕たち家族に多くは語ってくれなかった父親に少し似ていて、懐かしいような、寂しいような気持ちになります。
父の言葉から感じたこと
父親が息子に否定されるのは、父親自身が息子を否定しないから。
信頼関係を築くには、まず自分が相手に心を開かなくてはいけない。
この相互関係はとても重要なことだけど、ひとつ気になる点がある。
それは「見返り」を求めていること。
「俺が君のことを信頼しているのに、なんで君は俺を信じてくれないの」
「俺は君のことをこんなにも愛しているのに、なんで君は俺を愛してくれないの」
下側の例は極端な例だけど、実際ありそう。
話は脱線しますが、「愛」は見返りを求めるもので、「恋」は見返りを求めないものだそうです。僕は誰かを愛するのではなく、誰かに恋したい。
結局何が正解なのかは分からないけれど、大切なことは「他人に(何かを)してあげる」という気持ちを持たないことなのかもしれない。
じゃあどんな感情で相手と接したらいいのだろうか。
「他人に(何かを)させてもらう」でいいのかな。
なんだかいいフレーズが出てきません。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
追記
見返りを求めることって、損得感情が関与しているのかもしれない。
こうしてあげれば、何か返ってくるかもしれない、みたいな。